こころは叫ぶ(Why should I sleep, W.B.Yeats/M.McGlynn )私訳

2023年8月21日月曜日

translation

こころは叫ぶ


風よ、風よ、潮風よ
なぜ眠らねばならぬのか
風は空の雲うち追える


風よ、風よ、潮風よ
なぜ眠らねばならぬのか
風は空の雲うち追える
われはつね風のごと彷徨う


風よ、風よ、海の風
なぜ眠らねばならぬとこころは叫ぶ
いまは眠れとこころは叫ぶ
風よ、潮風、海の風
かぜ、うみのかぜ

われはつね空を風のごと彷徨う
(得るものなしに彷徨うのみか)


いまは眠れ なれは年ふり眠るがよい
ねむれ ねむれ ねむれ



"Why should I sleep" はイェイツの戯曲「鷹の井戸(At the hawk's well)」のテキストをもとにマイケル・マクグリンが作詞・作曲。2016年日本で上演された能『鷹姫』(実際の公演動画はこちら)の音楽を彼が担当した際に制作されました(実際の舞台では彼の主催グループANUNAがバックコーラス?として参加しましたが、公演でこの曲は使われていません)。曲はyoutubeで公開されています。

公式サイトで販売されているマクグリンの楽譜には多くの場合、歌詞テキストが楽譜とは独立して掲載されていますが、この曲の場合は以下のテキストが掲載されており、楽譜に記載されたテキストとは少々異なったものになっています。


(楽譜掲載テキスト)
"Why shold I sleep,"the heart cries,
"For the wind,the salt wind,the sea wind
Is beating a cloud through the skies;
I would wander always like the wind."

"O wind, O salt wind, O sea wind!
Cries the heart,"it is time to sleep;
Why wander and nothing to find?
Better grow old and sleep."


上記はイェイツ「鷹の井戸(At the hawk's well。全文はこちら)」のテキストの抜粋です。
こうして掲載すると2パラグラフの詩のように見えますが、戯曲では別の台詞をいくつか挟んでおり、連続したものではありません。いずれも物語が始まる前、主要登場人物である老人と青年が現れる前に物語の設定などを語る楽人の歌からの引用です。
前述の通り、この曲は能公演のコーラスをマクグリン主催の合唱グループが行うにあたり作曲されました。戯曲冒頭に現れる楽人の歌を歌詞に使用したのも、舞台公演でのコーラスは戯曲の楽人に近い存在と考えたためではないでしょうか。


「鷹の井戸」あらすじは以下の通り。(参考

荒涼とした山腹に干上がった井戸があり、鷹のような女がこれを守っている。
井戸のそばには老人がおり、井戸に時折湧く、不死をもたらす水を飲もうと待っていた。
井戸の噂を聞きやってきたクーフーリンに老人は、井戸に水が湧くと自分はいつもふしぎな眠気に襲われてしまうのだと語る。目覚めると水は既に干上がっており、それをくりかえして五十年が経ったのだと。
やがて井戸から水が湧き出すが、老人は眠りこんでしまい、鷹の女の踊りに誘われたクーフーリンも水を得られない。
老人はクーフーリンを引き留めるが、クーフーリンは戦場へ赴く歌を歌って去る。
(能『鷹姫』では老人は岩に変わり、クーフーリンが去って終わる)


一方、楽譜に記載された歌詞は以下の通り。
四声の歌詞を独自に整理したものなので作詞者が念頭に置いている歌詞と完全に一致しているかは不明ですが、作詞者がイェイツのテキストを再構成していること、それによりオリジナルのフレーズが生じていることは読み取れると思います(冒頭の拙訳は以下を訳したものです)。なお、多用されているカンマやコロンは元テキストをそのままコピーしたためと思われます。



(楽譜の歌詞)
"O wind, O wind, O salt wind,
Why should I sleep,
For the wind, the wind Is beating a cloud through the skies;


"O wind, O wind, O salt wind,
"Why should I sleep,"
For the wind, the wind Is beating a cloud through the skies
I would wander always like the wind


"O wind, O wind, O sea wind,
"Why should I sleep," the heart cries,
Cries the heart, it is time to sleep
For the wind, the salt wind,the sea wind
For the wind,the sea wind


I would wander always like the wind through the skies
(Why wander with nothing to find)


Time to sleep, Better grow old and sleep
sleep,sleep,sleep.


salt windは潮風、海から陸の方向へ吹く風を指します。sea wind(海風)は海上を吹く風全般の意味と、日中、海から陸に向かって吹く風の意味とあるようですが、salt windと同じ意味で使われることも多いようです。

イェイツの「鷹の井戸」は日本の能、とくに夢幻能を参考に作られたと言われます。
夢幻能は大抵二部構成で、前場で旅人(ワキ)の前に神や鬼、天狗などの人外の存在(シテ)が現れ、後場でシテが己の過去について語り舞い、消えていくという構成です。(参考

「鷹の井戸」は老人、クーフーリン、鷹のような女、の3名が主な登場人物となりますが、能に当てはめればクーフーリンがワキ、老人がシテとなるでしょう。つまりこの物語の主役は老人であり、クーフーリン(や、鷹の女)は老人に語らせるための媒介としての存在です。


私もお前と同じやうに
身も心もわかいとき、幸運の風に
吹かれたつもりでここに来た
井戸は涸れてゐた、私は井戸の隅に坐つて
奇蹟の水の湧くのを待つてゐた、私は待つた
とし月が経って自分が枯れてしまふまで
私は鳥を捕り、草を食ひ
雨を飲み、曇りにも晴れにも
水の湧く音を聞きはづすまいと遠くにも行かずにゐた
それでも、踊り手たちは私をまどはした。三度
不意の眠りから目が覚めて
私は石が濡れてゐるのに気がついた
   (「鷹の井戸」松村みね子訳、老人の台詞より)


戯曲中の老人の台詞を見ていると曲タイトルにもなった楽人の歌の一節、「Why should I sleep」は、不老の水を得ようと待ち続け裏切られ続けた老人の叫びの核心に思えます。

なぜ折角の機会を目の前にしながら自分はくりかえし眠ってしまったのか。なぜいま井戸は涸れているのか、なぜ望みは叶わないのか……なぜ自分は(奇蹟を得られず)むなしく死なねばならないのか、永遠の眠りにつかねばならぬ定命の存在なのか。
ですが、そうした嘆きが戯曲の核心であるならば。この戯曲は老人というひとりの人間の物語というよりはもっと別の、人や、この世の諸行無常のむなしさのようなものが主人公であるようにも思えます。


いのちは忽ちにをはる
そは得ることかうしなふことか
九十年の老の皴よる
身を二重に火の上にかがむ
わが子を見てはたらちねの
母はなげかむ、むなしきかな
わがすべてののぞみすべての恐れ
わが子を産みしくるしみも      (「鷹の井戸」松村みね子訳、楽人の歌より)


曲の歌詞では第三パラグラフ以降、戯曲のテキストが入り混じり始めます。
「なぜ眠ってしまうのか(why should I sleep)」「いまは眠れ(time to sleep)」という矛盾したこころの叫びが曲の中では連続して発せられ、「Better grow old and sleep.」のsleepは何度も繰り返されフェードアウトしていきます。「なぜ眠ってしまうのか」と考える老人ではない、誰か他人が老人に告げた言葉のように(このため拙訳では原文にない呼びかけの対象"汝"を入れています)。
老人を眠らせたのが「何」かは、戯曲の中では語られません。
井戸も鷹の女もクーフーリンも、すべては老人の見た長い長い夢の片鱗だったかもしれません。何しろ「鷹姫」で老人は石になってしまうのですから。


なお歌詞のベースとなっている戯曲のテキストについて、松村みね子訳は以下の通り。


こころは叫ぶ、われ眠りてあらめや
風、潮かぜ、海かぜ
そらの雲をふきまくる
われは常に風のごとくさまよはましを


ああ風よ、潮かぜよ、海かぜよ
ねむるべき時なるものをと、心はさけぶ
求むるもの得がたきに何時までかさまよふ
はや年老いて眠るこそよけれ

(「鷹の井戸」松村みね子訳、楽人の歌より)


一行目の「われ眠りてあらめや」の「や」は反語の係助詞。「自分が眠っていたというのか(そんなことがありえるだろうか)」といったニュアンスでしょうか。原文shouldの驚きや強調のニュアンスを盛り込んだと思われます。
「はや年老いて眠るこそよけれ」というのはリズムの良さも相まって、最初の引用とは一転して疲れ切ったような、かなり達観した言いまわしだなと思います。元のテキストだけでなく翻訳者松村の解釈もあってのことと思いますが、テキストが入り混じったことやタイトルの選択により、マクグリンの曲ではこうした諦観のニュアンスは比較的減じたと言えるでしょう。


なお「鷹の井戸」ロンドン初演時の衣装はサイモン・スターリングが再現、2014年の横浜トリエンナーレで展示されています。(画像はこちら)2010年代は「鷹の井戸」があちこちで注目されていたようです。