死せる王達(The Dead Kings, Francis Ledwidge)私訳

2023年8月2日水曜日

translation

死んだ王達


ロスナリーにてまどろみをれば
死せる王達わがもとへ来たり
明け方わずかなる星々ひかり
露流れたる茨の枝をしならせぬ


死せる王らそのいずれも
語り続けられたる古き栄光の物語もてり
雲雀が鳴くには早き頃合い
星あかりに闇は金の色みを帯びてをり


歌にもなりしエーラの嘆きに
われは耳傾けたり
はしばみ色の小作地近く時を告ぐる郭公
高みにて強く羽ばたけるほの暗き雲雀の影


われも王達に語りぬ
そののちの栄光、われらがエーラの新たな嘆き
高き緑野と低き畝に
動きつづける盾のごとき響きあり


王の言う「いまだ王たる我らは
嘆き悲しみつつ聞いた」
あまたのビラよりやさしき音色流れ
明け方は丘の上に女王のごとく立ちぬ


王の言う「越境とは歌うこと
来し方より枝の鐘の響くこと
鳥らも黙す黄金の草地のなか
重き心もて我らは影へと踏みいる」


王の言う「詩人らみな世を去り
おのが胸に秘めしまま歌われぬ思想が
降り注ぐ花びらのごと
青ざめたる時間を燃えあがらせる」


王の言う「我ら再びロスナリーにて
人々の足取り響き渡れるを聞かん」
横たわる我がそばにて爆弾の炸裂せり。
めざめれば我はピカルディの昼間にをりぬ。




"The Dead Kings"はフランシス・レドウィッジ(Francis Ledwidge 1887-1917)の詩。
原文はこちら。各パラグラフとも、3行目末尾と4行目半ばで韻を踏んでいます。


第1パラグラフに出てくるロスナリーはアイルランドの地名でボイン川の南にあり、"wood of the kings"の意味を持ちます。
ボイン川は短い川ですが、そのほとりには遺跡や城跡も多く、いくつかの伝説や有名な史実に係りがあり、考古学的にも重要な場所です。(参考

例えばアイルランド伝承「ロスナリーの戦い」において、ロスナリーはタラ王がウラド王と戦い、英雄クー・フーリンに殺された場所です。また、エリン(アイルランド)上王コーマック・マック・アートはロスナリーに埋葬されたと言われています。(参考)(参考2

また同時代の神話である 「クーリーの牛争い」の一節、"Togail Bruidne Dá Derga"でエリン上王の息子コネア・モールが殺された場所、ダ・デルガはボイン川のふもとにあるLedwidgeの故郷、ミース州にあります。(参考)(参考2


ボイン川のほとり、ミース州スレーンで産まれた作者にとって、ロスナリーは故郷にも比較的近く、幼少期から馴染み深い土地だったでしょう。
この詩で主人公に語りかけてくる王は3人いますが、作者の中でタラ王や上王コーマックなどが想定されている可能性はかなり高いのではないか……と思います。


第3パラグラフ、「歌にもなりしエーラの嘆きに/われは耳傾けたり」の原文は以下の通り。なおエーラとはアイルランドを女性擬人化した名称です。


I listened to the sorrows three
Of that Eire passed into song.


直訳すると「わたしはエーラの、歌に変わった3つの嘆きに耳を傾けた」といったところでしょうか。
原文でthreeと妙に具体的なのは、"The Three Sorrowful Tales of Erin"(エリンの三つの悲しき物語)を念頭に置いていると思われます。
18世紀の学会においてアイルランド神話「リルの子どもたち(Children of the Lir)」「トゥレンの子らの最期(The Fate of the Children of Tuireann)」「ファリニスの子らの最期(The Fate of the Children of Uisnigh)」の3つは"The Three Sorrowful Tales of Erin"としてまとめられ、英訳されていました。(参考

これら3つの物語はLedwidgeの時代にもイェイツがモチーフにしており、当時の知識階層の人々にとっては教養の一部だったと思われます。

それぞれの物語の概要は以下の通り。いずれも放浪と呪い、死の話です。


「リルの子どもたち」:義母に呪いをかけられたリルの子らは白鳥の姿となり900年彷徨う。やがて呪いは解けたが、その瞬間、子どもたちは年老いて死んでしまった。(参考

「トゥレンの子らの最期」:雷神トゥレンの3人の息子はダナン神Cianを豚に変え殺したので、Cianの息子であった太陽神ルーは彼らを追放した。3人は瀕死の怪我を負いながらもルーの求めたものを持ち帰り癒しを求めたが、ルーは彼らを癒さなかった。3人は死に、トゥレンも悲しみのあまり死んでしまった。(参考)(参考2

「ファリニスの子の最期」:予言を受けた娘ディアドラはウラド王に求愛された。ディアドラは別の男を愛していたため男とスコットランドへ逃れ暮らしたが、彼女の息子達は王に誘い出され殺されてしまう。その後夫も殺され、ディアドラは自害する。(参考


このうち「リルの子どもたち」は「Silent,O,Moyle」という有名なモチーフ曲があり、"passed into song"もそのあたりを念頭に置いているかもしれません。なお「Silent,O,Moyle」に愛国歌としての側面があり、神話の主人公にアイルランドを重ねているというのはこちらにも書いた通りです。


第四パラグラフの原文は以下の通り。


And I, too, told the kings a story
Of later glory, her fourth sorrow:
There was a sound like moving shields
In high green fields and the lowland furrow.


「later glory, her fourth sorrow」について具体の記載はありませんが、未だ独立を果たしていないアイルランドの現状こそが今なお続く放浪と呪いであり、fourth sorrowなのだと取るのが妥当と思います。第7パラグラフの「(詩人らの)己の胸に秘めしまま歌われぬ思想」も独立についてのものでしょうか。
なお作者がどこまで念頭に置いているかは不明ですが「a sound like moving shields」というのは『マクベス』の、兵士達が木の枝を掲げ森に扮し圧政を敷くマクベス王のもとへ侵攻した、というエピソードを思い出させます。


第5パラグラフ「あまたのビラよりやさしき音色流れ/明け方は丘の上に女王のごとく立ちぬ」の原文は以下の通り。


Sweet music flowed from many a bill
And on the hill the morn stood queenly.


billは紙幣や証書などの意味もあるのですが、全体として独立運動の存在を背景に感じるのでここでは(政治運動のための)ビラを選択しました。
最終パラグラフの原文は以下の通り。


And one said : " A loud tramp of men
We'll hear again at Rosnaree."
A bomb burst near me where I lay.
I woke, 'twas day in Picardy.


"A loud tramp of men"は、直訳すれば「人々の大きな足音」。
イギリスに支配される前、神話の時代に響いていただろう足音の代わりに爆弾が破裂し急転直下、懐かしい故郷でなく兵士として前線にいる自分に気付いたところでこの詩は終わります(ピカルディはフランス北部の地名。なおLedwidgeはフランスにて戦死)

自然描写も多少はあるのですが詩の中で王と語り合った時間は第1パラグラフ、第五パラグラフともに明け方(morn)となっています。
すべては一瞬のこと、あるいは永遠に続く明け方の中での出来事です。