しづかに、モイル (Silent, O Moyle, Thomus Moore)私訳

2023年7月11日火曜日

translation

しづかに、モイル


しづかにモイル、轟く水よ
風よやすらかに乱れてはならぬ
悲嘆にくれしリルの娘が星ぼしに
鳥に変じて彷徨へるおのが苦難をささやけり


絶唱をへし白鳥も羽をたためる闇のなか
いつかやさしき眠りへつかむや    
天上の鐘のやさしく鳴りわたり
いつか吾を恐ろしき地上より召さむや


かなしやモイレ、しのび泣く波よ
この身は蝕まれたる運命
祖国エリンも眠りにしづみ
夜明けの光のなほ届かざる


日の光のどかに湧きいで
いつかこの地を満たさむや
天上の鐘のやさしく鳴りわたり
いつか吾をやさしき野辺へ召さむや



「Silent, O Moyle」はアイルランド詩人トーマス・ムーア(1779~1852)の詩。もとは「The Song of Fionnuala」(フィオヌアラの歌)というタイトルで、「Silent〜」は曲としてのタイトルになります。ムーアは「夏の名残のばら」や「庭の千草」の作詞者でもあり、アイルランドの伝統的メロディーに詩をつけた本を出版しています(参考)。

歌詞原文はこちら。また、歌の動画はこちら。タイトルのMoyleとは北アイルランドとスコットランドの間の海域を指します。


動画のリンク先はケルティック・ウーマンの元メンバーMeavによるものですが、Boys air choirなど、男女問わず多様なアーティストが歌い、ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』でも辻音楽師のハープによる演奏シーンが出てくるなど(参考)、ポピュラーな曲です。こちらなど、歌い手やアレンジでかなり印象も変わるように思います。


第1パラグラフ、3~4行目の原文は以下の通り。


While, murmuring mournfully, Lir's lonely daughter
Tells to the night-star her tale of woes.


リルの娘(Lir's lonely daughter)とはケルト神話『リルの子供たち』の登場人物です。名はフィオヌアラ。(フィヌーラ、などと記載されることも)
彼女は義母の呪いによって九百年のあいだ、3人のきょうだいとともに白鳥に姿を変えられ、安住の地を持たず彷徨い続ける運命を負わされます。
ダヴラ湖で300年、モイルの海で300年、Gloraの湖島で300年を過ごしたフィオヌアラとそのきょうだいは、呪いが解ける日と予言された婚儀の場に美しい歌声とともに現れましたが、呪いが解けて人の姿を取り戻した瞬間、一瞬にして老いて死んでしまいます。
4行目「鳥に変じて彷徨へるおのが苦難をささやけり」の「鳥に変じて彷徨へる」の部分は、原文には存在しませんが、補足として記載しています。


『リルの子供たち』はアイルランドの伝説の中でも有名なもので、歌やオペラ、小説、戯曲など、アイルランドの芸術家によって多くのモチーフ作品が作られています(参考)。
ちなみにリルとはケルト神話、ダーナ神族の海神の名でもありますが、これが『リルの子供たち』のリルと同一人物であるかは不明です。(参考


第2パラグラフ1~2行目原文は以下の通り。


When shall the swan, her death-note singing,
Sleep, with wings in darkness furl'd?


death-note singingとはいわゆるスワンソング、死の間際の美しい歌のことでしょう。前述のアイルランド神話でも、白鳥に変えられたリルはきょうだいとともに美しい歌を歌ったとされます。白鳥は両羽の中に顔を差し込み眠るので、"Sleep, with wings in darkness "はこれを念頭に置いた表現と思われます。


第3パラグラフ3行目原文は以下の通り。

Yet still in her darkness doth Erin lie sleeping,


Erinはアイルランドの(女性)擬人化名称。第2パラグラフの白鳥、ひいては第1パラグラフのリルの娘が、アイルランドのイメージと重ね合わせられています。

第4パラグラフ1~2行目の原文は以下の通り。


When will that day-star, mildly springing, 
Warm our isle with peace and love?

day-starは明けの明星、または太陽。ここでは後者でとっています。2行目は直訳すると「われわれの島が愛と平和で温められる(のはいつだろう)」といったところでしょうか。



ウィリアム・バトラー・イェイツやフランシス・レドウッィジが生きた一次大戦前後の時代、アイルランド独立運動と連動した芸術家たちの作品において、アイルランドは老婆に変えられた乙女(Caitlín Ní Uallacháin)として、しばしば表象されました。

発端はイェイツの執筆した戯曲「カスリイン・ニ・フウリハン」。この戯曲では婚礼前の青年の家に謎の老女が現れます。老女の歌を聞いた青年は彼女を追うかのようにアイルランド解放運動へ加わり家を去り、婚約者は取り残されてしまいます。Caitlín Ní Uallacháinのモチーフは、その後もアイルランド人作家によって利用されていきます(参考)。


ブリヂット 何が苦労の初めだったね?
老女 土地を取られてしまったのだ。
ピイタア たくさんの土地を取られたのかい?
老女 わたしの持っていた美しい緑の野を。
 (中略)
ピイタア (パトリックの腕に片手をかけて訊く)年よりの女がそこの路を下りてゆくのを見なかったか?
パトリック 見なかった、若い娘が行ったよ。女王のように歩いていた。
       (「カスリイン・ニ・フウリハン」松村みね子訳


醜い姿に変えられた乙女というモチーフは東西問わずよく見られるものですが、Caitlín Ní Uallacháinは愛国心による死を厭わず求める、ファム・ファタールとしての「祖国アイルランド」と言えるでしょう。

戯曲の老女はイェイツが繰り返し求婚し詩にも書いた、革命家かつ女優のモード・ゴンがモデルで、彼女は「カスリイン・ニ・フウリハン」の老女を実際に演じてもいます。


1779年生まれのトーマス・ムーアは、ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865生)、フランシス・レドウッィジ(1887生)から見れば、ほぼ一世紀前の人物です。イギリスとアイルランドを頻繁に行き来し、ジャガイモ飢饉(1845-1849)の末期にイギリスで亡くなった彼は、飢饉と移民で人の減っていくアイルランドを間近には見なかったでしょうし、アイルランド自治の動きが高まりだす1870年代も知りません。

彼の書いた詩「Silent, O Moyle」におけるリルの娘は、ひとり己の置かれた状況を嘆く描写しかされません。青年を解放運動に誘うこともなく、女王のように歩くこともない。無力で孤立した(2番の歌詞のイメージも含めればひたすらに神の救いを待つ)受動的な存在です。

しかし「カスリイン・ニ・フウリハン」同様、リルの娘もアイルランドの擬人化として表されたものです。2人はともに本来の姿を失った存在、他者に奪われた存在であり、かつ、男性作家が産みだした女性像という点においても共通しています。


こうした、独立前のアイルランドにおける「祖国アイルランド」に重ねられてきた表象のあり方を念頭に置いたとき、後年のいわゆる「ケルト・ブーム」において、例えばエンヤやケルティック・ウーマンなど、聖歌隊経験のある清楚、幻想的などと評されるソプラノシンガー達がアイルランド音楽の一側面としてのイメージを作り上げ、世界中に受け入れられていったのは皮肉のような気もしますし、当然のような気もします。


しかしそうした表象が産まれた背景には、どちらの作者の中にもアイルランドの現状への疑問があっただろうことも確かです。


イェイツ逝去の年に生まれたシェイマス・ヒーニー(1939生)は1979年、ムーアの作品について、'"too light, too conciliatory, too colonisé"……すなわち「軽すぎる、(宗主国に)融和的すぎる、植民地化されすぎている」がゆえに、現在のアイルランドは彼を国民的詩人とはしなくなったと講演で述べています(参考)。

ヒーニーのこうした評はフランシス・レドウィッジについて書いた彼の詩や、クロウタドリの詩人として愛され、かつては学校課程で「農民詩人」「兵士詩人」として教えられていたレドウィッジが二次大戦後、カリキュラムから一時消えていたことを想起させます。


イギリスからの独立によりアイルランドが(カトリックの教義と結びついた)一国家としての文化・独自性を追求した結果、イギリス支配下にあった時代の自国の詩人(の、作品における弱々しい自国像)を否定する姿勢は、恐らく今なお複雑な形で存在しつづけているのだと思います。