フランシス・レドウィッジを悼んで(1980年) In memoriam Francis Ledwidge (1980) (Seamus Heaney)私訳

2023年6月5日月曜日

translation

フランシス・レドウィッジを悼んで(1980年)


1917年7月31日、フランスにて戦死


空想の風にぎこちなく皴になった青銅のマントを
青銅の兵士が引き寄せている
現実の風が磨き清めても
蹲りながらの突進はそのまま吊るされている


フランダースから。ヘルメットと雑嚢、
台尻から銃剣への銃の硬い傾斜、
浮き彫りにされた銘板の、忠実なる戦死者たちの名前 --
心配顔のペットにはどれも重要ではなかった


1946年か1947年か
わたしは叔母メアリーの手を握り
ポーツチュワートの道に沿って、三日月状の街路を一周する
キャッスルウォークへの道から浜辺へ向かっていた


コールレーンの操縦士が給炭船に向かう
愛し合う二人がえぐられた砂丘にそびえ立つ
農夫は光沢のあるチョッキと鋲を脱ぎ捨て
臆病なむこう脛にトラウザーズを丸めて下ろす


色付き電球が海岸通り沿いに並ぶ夜
家畜が山ほど子を産んだという知らせに
崖上の小屋から田舎臭い声が上がった--「ちびをかわいがってやらにゃ!」
年取ったホルスタインを引き裂く有刺鉄線。

 

フランシス・レドウィッジ、あなたは日曜の午後に海辺で
ドロヘダの彼方を乞うていた
文学、甘い語らい、田舎風のものたち
スレーンからの緑に覆われた道をあなたは自由に漕いだ


あなたがいるのは痛ましさとやさしさの狭間
五月の花の祭壇、イースターの水かけの水、
ミサの石、丘の上の妖精の砦、垂木の納屋


イギリス軍兵士になったあなたについて考える
悩めるカトリックの顔つき、青白く勇敢で
サンザシの花やボインの石室から抉り取ってきた静寂で
塹壕を覆い隠そうとしている


その少女は1915年の夏にいた
その頃、叔母は牛たちを放牧していた
ダーダネルスの低木の茂みの陰で
あなたは乾いた口を潤すため石を舐めていた


1917年。いまだ少女は牛を飼っていたが
激しい爆撃は蠟燭をイーペルまで飛ばした
「わたしの魂は低地を削るボイン川と共にある……
 祖国があの川に堅信礼のドレスを着せた」


「国家間に祖国の居場所がない現状、
イギリス兵と呼ばれるために……」6週間後、
あなたは榴散弾に引き裂かれた。「党派性に
分断される、なんてことだ!」


わたし達の死んだ謎、すべての歌が
あなたの中で無駄に調和し交差する
そして風が、警戒をつづけるこの銅像を調律し
わかりづらくも確かなドラムの音が再び聞こえだす


ボイン川からバルカン半島まで行きながら
ほの明るく鳴るはずの、あなたのフルートは失われてしまった
今やあなた方みなが地下で共にあるが
あなたが純血の者として調律されることはない




シェイマス・ヒーニー(1939 - 2013 )は、1995年にノーベル文学賞を受賞したアイルランドの詩人。
生まれたのは北アイルランドですが、その後北アイルランドを離れ、アイルランドに「移民」した人物でもあります。詩の原文はこちら


詩のタイトルでも言及されているフランシス・レドウィッジは1917年に戦死したアイルランド詩人で、アイルランド東部のスレーンで生まれました。スレーンは小さな村で周囲に遺跡が多く、ボイン川のほとりの丘の中腹にあります。このボイン川を下っていくとドロヘダ(ドラハダ)という都市があります。


今回、翻訳に際しては偶然見つけたイギリスの国語教員による解説記事を参考にしました。
記事中ではFrancis Ledwidgeはかつても今も、多くのアイルランド人にとって矛盾した存在だという説明があります。
(以下、この記事のことを便宜上「教員解説」と呼びます)


第1パラグラフは兵士の銅像に関する記述です。
教員解説によればここで念頭に置かれているのはヒーニーが7歳の時、Portstewart's First World War Memorialを訪れた体験だそうです。恐らく別作や講演等で言及があったのでしょう。Portstewartは北アイルランド東部の地名で、第3パラグラフにも登場します。
「Portstewart’s First World War Memorial」で画像検索すると、銃剣を持って構えて立つ兵士の銅像がトップに表示され、これがもっとも有名なものと思われます。
一方「First World War Memorial ireland soldier」で検索すると、上記で表示されたもの以外の銅像が表示され、恐らくPortstewart's First World War Memorial内には複数の兵士像があると思われます。
個人的にはこのあたりなどが第一パラグラフの描写に近いと思います。


第2パラグラフ、フランダースとは、ダブリンの平和公園のFlanders Fields 記念碑のこと。記念碑にFrancis Ledwidgeの詩が刻まれているそうです。
最終行は原文では"It all meant little to the worried pet"。7歳当時のシェイマス・ヒーニーがペットを飼ってたのか、幼い彼自身のことを言っているのかと思いましたが、正直よくわかりません。


第3パラグラフ、既に第1パラグラフでも登場したPortstewart は北アイルランドのロンドンデリー州にある小さな町で、リゾート先などとして選ばれるような場所。長い三日月形の海岸沿いの遊歩道があるそうです。(参考
第4、5パラグラフはリゾート地の描写でしょう。コールレーンも北アイルランドの地名です。


第6パラグラフ、ドロヘダはアイルランド東部の都市。海の向こうはイギリスです。
教員解説ではこのパラグラフ前半の描写について「今の若いアイルランド人同様に」と書かれています。


第7パラグラフ、イースターの水かけの水は原文では"Easter water sprinkled in outhouses"。ネット検索するとアイルランドに限らず、ハンガリー、ポーランドなどのカトリック国ではイースターの日に水を撒く、周囲の人に水をかけるといった風習があるようです。
ミサの石、丘の上の妖精の砦、たるきつきの納屋は"Mass-rocks and hill-top raths and raftered byres"。
Mass-rocksとは17世紀半ば、カトリック信仰が禁じられていた時期にミサに使われていた石のことです(参考)。大きな石を使う場合も、複数の石を組み上げ祭壇のようにしている場合もあるようです(画像検索)。
(hill-top) rathsとは古代アイルランド時代に作られた土塁に囲まれた円形砦で、複数階層の大きなものもあるようです。後年、妖精の砦と呼ばれたということから、こちらではその表現を取りました。全般的に、古代アイルランドとカトリックに関する言葉が選択されていると思われます。


第8パラグラフ1行目、「イギリス軍兵士になったあなたについて考える」は、"I think of you in your Tommy's uniform." Tommy、あるいはTommy Atkinsとはイギリス陸軍兵を指す俗語です(参考)。したがってここは直訳すると「イギリス陸軍兵の制服を着たあなたについて私は考える」となります。

後半2行、原文は以下の通り。


Ghosting the trenches with a bloom of hawthorn
Or silence cored from a Boyne passage-grave.


レドウィッジの故郷近く、ボイン川(Boyne)の渓谷には紀元前3000年頃の石室墓と大古墳群があり、現在は世界遺産になっています。
Ghostingはghostの現在分詞で、weblioレベルで見る限り似たような使用例はあまりないようなのですが、サンザシの花などまじないめいたもので、塹壕という戦争にもまつわる現実を覆い隠そうとしているということかなと解釈しました。
(レドウィッジの詩はロマンチックな作風のものが多く、戦争にまつわるものでもシビアな現状をそのまま描写し糾弾する……といった方向性とは真逆の印象があります。)


第9パラグラフ1行目「その少女は1915年の夏にいた」としていますが、パラグラフ前半の原文は以下の通り。


It's summer, nineteen-fifteen. I see the girl
My aunt was then, herding on the long acre.


1行目を直訳すると「それは夏、1915年のこと。わたしはその少女を見た」となりますが、ヒーニーは1915年当時生まれていないので、過去の幻視と解釈しました。2行目末尾について、"farm the long acre"で放牧するの意があるそうなので(参考)、"herding on the long acre"も同様と思われます。
後半2行、ダーダネルスとはエーゲ海とマルマラ海とを結ぶダーダネルス海峡のこと。この海峡はヨーロッパとアジアの境界でもあり、1915年にはイギリス含む連合国が、オスマン帝国の首都攻撃の進攻作戦を行なっています(ガリポリの戦い)。

1915年とはアイルランドでイースター蜂起が起きた年でもあります。


第10パラグラフ、イーペルとはベルギー西部の都市。レドウィッジが戦死したのはフランスですが、これは「Action at Ypres(第三次イーペルの戦い)」でのことでした。
混成連合国軍とドイツ軍の3ヵ月に及ぶこの戦いは、wikipediaによれば両軍犠牲者50万人越え、街は壊滅。また人類史上初めてマスタードガスが戦闘に使用されました。


第11パラグラフ、原文は以下の通り。

'To be called a British soldier while my country
Has no place among nations...' You were rent
By shrapnel six weeks later. 'I am sorry
That party politics should divide our tents.'


レドウィッジ従軍当時アイルランドは独立しておらず、countryではありましたがnationではありませんでした。
後半の、'I am sorry That party politics should divide our tents.' のshouldは、「~とは」、といった、遺憾・驚きなどの表現としてとりました。I'm surprised,I regret などの表現に続く用法なので「I am sorry」も謝罪ではなく、レドウィッジの、アイルランドの現状を嘆く言葉と取って「!」を足しています。
レドウィッジの言った言葉の引用であるように書かれていますが具体の出典があるのか、six weeks laterのくだりの意味などはわかりません。


第12パラグラフ、「this vigilant bronze」は第1パラグラフでも登場した銅像のことと取りました。


第13パラグラフ、「ボイン川からバルカン半島まで」とはレドウィッジの生地から従軍地まで。原文は以下の通り。


You followed from Boyne water to the Balkans
But miss the twilit note your flute should sound.
You were not keyed or pitched like these true-blue ones
Though all of you consort now underground.


「all of you consort now underground」を直訳すれば「(レドウィッジ含め)あなた方皆が今は地下でともにいる」といったところでしょうか。

教員解説ではヒーニーはレドウィッジを詩人として高くは評価しておらず、「these true-blue ones」とはヒーニーが(レドウィッジとは違って)高く評価していた、イェイツのような才能あふれる(亡くなった)詩人達のことではないか、としています。もしかしたら他の場所でも「these true-blue ones」という言い回しが登場することを踏まえているのかもしれません。

ただ、教員解説の記載を踏まえると「these true-blue ones」は「all of you~」とほぼイコールとなり、対象への距離感に差があって妙なので、ここではそのままにしています。true-blueについてはblue bloodという語があることから純血としました。