あの夜を
きみ思ほふやあの夜を
帽子、手袋、外套なしに窓辺にをりぬ
われは手を延べきみ握りしか
帽子、手袋、外套なしに
恋人よ、わがもとへ来よと
ひばり語りぬ
きみ思ほふやあの夜を ひどく冷ゆる夜なりき
われは手を延べきみ握りしか
帽子、手袋、外套なしに
恋人よ、わがもとへ来よと
ひばり語りぬ
きみ思ほふやあの夜を あれはひどく冷ゆる夜にして……
「An oiche(The night)」はアイルランドの伝統歌ですが、作曲家マイケル・マクグリンが自身の主催するバンド用として混声合唱作品に仕立てており、動画を公開しています。
詩の原文はこちら。拙訳は英訳から二重翻訳しています。
冒頭4行、原文は以下の通り。
Do you remember that night when you were at the window
Without a hat or glove or overcoat on you?
I gave my hand to you and you clasped it to you
Without a hat or glove or overcoat on you?
"Without a hat or glove or overcoat on you?" にフレーズが繰り返されますが、前半2行が「きみ」への、覚えていますかという呼びかけ(Do you~)であるのに対し、後半2行に「きみ」はおらず、あれは本当に起こったことだったろうかと自分に問いかけているような印象があります。
恋人よ、わがもとへ来よと
ひばり語りぬ
は、原文(英訳)だと
And the lark spoke
My love, come to me some night.
spoke(speak)は語り合うというよりは一方的に音声を告げるというニュアンスのほうが強いそうです(語り合うならtalkのほうが適切)。(参考)
基本的にすべて過去形、回想の歌となっており、"My love, come to me some night"で突然現在形になるので、ここは回想の中の雲雀がかつてそう語っていた、と解釈しました。
ところで雲雀といえば『ロミオとジュリエット』の有名なこちらのやりとり。
ヂュリエット 去なうとや? 夜はまだ明きゃせぬのに。怖はがってござるお前の耳に聞こえたは雲雀ではなうてナイチンゲールであったもの。夜毎に彼處の柘榴へ來て、あのやうに囀りをる。なア、今のは一定ナイチンゲールであらうぞ。
ロミオ いや/\、旦を知らする雲雀ぢゃ、ナイチンゲールの聲ではない。戀人よ、あれ、お見やれ、意地の惡い横縞めが東の空の雲の裂目にあのやうな縁を附けをる。夜の燭火は燃え盡きて、嬉しげな旦めが霧立つ山の巓にもう足を爪立てゝゐる。速う往ぬれば命助かり、停まれば死なねばならぬ。
『ロミオとヂュリエット』坪内逍遥訳
ジュリエットの台詞にもある通り、夕暮れ後から夜明け前に鳴くナイチンゲールに対し、雲雀は朝や昼間に鳴く鳥です。雄の雲雀が囀るのは繁殖期の春のため、雲雀は春の季語にもなっています。
つまり、まるでロミオとジュリエットのバルコニーのシーンのように、かつて春の夜、歌の「きみ」は「われ」のいる窓辺に帽子、手袋、外套を身に付けず現れ、そのまま「われ」と、雲雀が鳴き出す時間まで一晩を共に過ごしたと思われます。
この「帽子、手袋、外套なしに(Without a hat or glove or overcoat on you)」ですが、『ハムレット』にこんなくだりがあります。
オフィーリア
お父さま、部屋で縫物をしていると
ハムレットさまが、上着の胸をはだけ
帽子も被らず、汚れた靴下は
足枷のようにくるぶしまで下がり、
お顔は真っ青、両膝をがくがくさせ
まるで地獄の恐ろしさを告げるため、
そこから抜け出していらしたばかりというように、
悲しげな眼差しで、ふいに私の目の前に。
ポローニアス
お前に恋焦がれ、狂われたか?『ハムレット』松岡和子訳
上記を踏まえると歌の「帽子、手袋、外套なしに」というのも、恋に落ちて何も取り繕えなくなっている「きみ」のかなり切迫した状況を表すものではないか、またこうした服装による心の乱れの表現というのが当時の表現ではよくあったのではないか、と思います。
中世ヨーロッパでは騎士から貴婦人へのプラトニックラブ、叶わぬ恋こそが真の恋だとして尊ばれたといいますが、そんな世界観の気配もあるように思います。