Siuil a Ruin (Walk my love) (私訳・旧仮名文語ver)

2023年6月3日土曜日

translation

Siuil a Ruin (Walk my love) 


あの丘にひとりをりたし 泣き声ぞ溢れさせたし さらば涙はいつまでも水車をまはし流れむを


やさしき言の葉のみくれし 恋人の膝の上にぞ帰りたし つひに叶はぬことばかり吾に語りし恋人ぞ


(Chorus)  吾がもとへ来たれ恋人よ  安らかに、忍びやかにぞ訪ひて  戸口より吾を攫ひゆけ


その髪は黒かりしその眼は青かりし 腕の力強かりし恋人の言葉を吾は信じたり 心にいつも君はありしか


(Chorus)


吾はペチコート赤く染め 恋人の生死さだむるその日まで 物乞ひにより世を渡らむ


手紡ぎ棒もつむも売り 紡ぎ車も売り払ひ 吾は恋人にひとふりの鋼の剣を贖はむ


(Chorus)  さらば恋人よ今は行け  音も立てずに静かに進み  戸口より吾を攫ひゆけ  (その道のりよ無事であれ)


吾はペチコート赤く染め ちちははがいつそ死ねよと思ふまで 物乞ひにより世を渡らむ


あれかしと幾度思へど甲斐はなし 吾が恋人は戻らずに 嘆くものかと思へどむなし


されど恋人はフランスに 武運を試しに向かひたり 再び会はむと思へども巡り合はせを祈るのみ



Siúil a runは製作年不明のアイルランド民謡。   歌詞はこちら(複数パターンあり)


歌詞に英語とゲイル語、両方を含む歌というのは(古い民謡としては)珍しく、かつて存在したオリジナル歌詞は失われたと思われます。(参考)歌詞の背景には歴史上の戦争、具体的には名誉革命時、反革命派(ジャコバイト)のカトリック系アイルランド人がフランスへ渡った(Flight of the Wild Geese。参考)ことがあるという説もあります。おそらくこれは"されど恋人はフランスに 武運を試しに向かひたり"の部分についてのことと思われますが、これも明確な証拠などがあるものではありません。

なお、拙訳ではコーラスのゲール語部分の訳は英訳によっています。

時代の変遷等により歌詞は複数パターンがありますが(後述。なお冒頭のリンク先から複数バンドの歌詞が参照できます)、ゲール語のコーラスふくめ、脚韻が踏まれています。「*」以降の歌詞はClannad版を主に参照していますが、「*」前の歌詞はリンク先の、この曲をCDに収めているほぼ全ての演奏者に共通で、ここは定番の歌詞のようです。

演奏によっては全てのメロディーの末尾に"Is go dte tu mo mhuirnin slan(And may you go safely, my dear)"という歌詞がつく場合もあります。拙訳では「*」以降のコーラス最終行「その道のりよ無事であれ」が対応します。


恐らくこの歌でもっとも重要なのはコーラス部分でしょう。 タイトルにもなっている「siúil a ruin」は「walk my love」が英訳としては定着しています。

実際にsiúilの意味を調べると(こちら参照)第一義としてwalkが、二番目に「come or go on foot」が挙げられています。つまりsiúilとは足による移動(の動き)が主な意味であり、walk同様、「行く」も「来る」も訳としてありえると言えます。

一方コーラス部分の英訳について、ネットで探してみると以下二つを見つけられました。(以下、siúilはwalkで統一)


英訳1(Anúna 採用版) walk quietly and walk peacefully walk to the door and fly with me


英訳2(KOKIA  採用版) walk calmly and walk quietly walk to the door and flee with me


walkにかかるquiet、peaceful、calmはいずれも内外の環境の穏やかさ、静けさを表す語ですが、rest in peace、calm deathなど、精神の安らぎの意から転じて死のイメージとも近しい場所にあるように思います(個人的には特に英訳1の「peacefully」というのは戦地へ向かうであろう恋人の形容にしてはかなり意外な印象があり、翻訳者の敢えての選択に思えます)。 2行目の「fly」は飛ぶだけでなく逃げる、即座に去る、という意味があります。英訳2の「flee」は逃げる、連れ去るという意味ですが、この語はflyの文語でもあります。

siúilを「行く」、goの意とし、自分と逃げてほしい、攫って逃げてほしい(fly with me)と歌うならば。死地へ向かう人に足音を立てずそっと旅立ってほしいと思いつつ、開けた家の戸口からそのまま自分も連れ去ってほしいとも願っている……そんな解釈になるかなと思います。 siúilをcome「来る」とする場合も似たような解釈は可能でしょう。明日出征の恋人に、夜こっそり自分の家を訪れてそのまま自分を連れ去ってほしいと願っている。「go」と取るか「come」と取るかで歌の主人公とその恋人の位置関係が若干変わってきますが、恐らくこの歌のコーラス部分の翻訳の多くが上記いずれかの解釈になっていると思います。


しかしcome「来る」の場合、呼びかける恋人は既に死んでいる、あるいは長らく音信不通で死んだも同然の状況で、目の前にいない死んだ(と思われる)恋人の魂に、自分のいる故郷へ戻って来るよう呼び掛けている……そんな解釈も可能ではないでしょうか。 そもそもコーラス前の歌詞で、恋人の容姿はすべて過去形で描写されているのです。


イェイツの戯曲「心のゆくところ」ではメリーという女性の前にフェアリーと思われる謎の子どもが現れます。戸を開け子どもを迎え入れ、ミルクを与えたメリーは夫ショーンや神父の制止も甲斐なく、子どもの語る美しい国への誘いに応じ、死んでしまいます。

 

 あの人たちの歌がきこえるよ「おいで、花嫁さんおいで、森と水と青い光へ」とうたっている 

 

メリイ わたしはいたいと思うの――それでも――それでも 

子供 おいで、金の冠毛の、小さい鳥

メリイ (ごく低い声で)それでも――

子供 おいで、銀の足の、小さい鳥 (メリイ・ブルイン死ぬ、子供出てゆく)

ショオン 死んでしまった

ブリヂット その影から離れておしまい、体も魂ももうないのだよ       お前が抱いているのは吹き寄せた木の葉か       彼女の姿に変っている秦皮の樹の幹かもしれない


お化けの仮装をした子供が各家に訪れるハロウィンはアイルランドの行事が源流です。扉は異界との境界であり、この歌でわざわざ「walk to the door」と歌うのも、人ならぬものとしてやってきた恋人が娘を訪れ連れ去るという、古くから民話で語られていただろう展開が念頭にあるのではないでしょうか。 長らく会えぬまま、恐らくはもうこの世にはいないだろう恋人。来てほしいと呼びかける恋人が歌い手を攫っていく先は死者の国(それは地下にあるという妖精の国と近しいものです)かもしれない。 第5パラグラフ、I’ll dye my petticoat, I’ll dye them red( 吾はペチコート赤く染め)という歌詞の繰り返されるdyeはdie、つまり「死」と発音が同じです。

もしそうだとすれば恋人の生死を確かめるまでは物乞をしてでも……という歌詞も、それは本当にそうしたい、というよりは、一緒に死にたいということなのではないか、という気がします。


いずれの解釈にせよ、"その道のりの無事であらむことを(Is go dte tu mo mhuirnin slan)"という歌詞は、全体の中でもかなり浮いていて、Celtic Womanの演奏などでここだけ他の歌詞と離して歌っているのもそうした理由からなのだろうと思います。

なお拙訳では「*」前のコーラスをsiúilをcomeとして(英訳1)、後のものはgoとして(英訳2)訳しました。 また訳出していませんが、吾はペチコートを赤く染め(I’ll dye my petticoats, I’ll dye them red)の部分は、アイルランドの方のお話やオンラインの翻訳サイトの記述等を踏まえると娼婦として生きるという意味のようです。


初出・https://www.tumblr.com/rhymeandriddle-blog-blog/190893179805?source=share