鳥を迎へよ (Failte don ean, Séamus Dall Mac Cuarta) 私訳

2023年6月4日日曜日

鳥を迎へよ


鳥を迎へよ
日に伸ぶる灌木の美を歌ふ森の最愛を迎へよ
この生に吾ははや倦みはてつ
そのすがた新緑の時も見ること叶はぬゆゑ


頭上の枝に面影さがせば
見えねど聞こゆ
くりかへし郭公よべる鳥の歌
其はわが苦き心痛ぞ


丘を取りまく花をたずさへ
北に南に、アイルランド中に集ひくる
どの郭公もみな美しと
みなが喜び語りあふ


見ること叶はぬ悲しみは
孤独の吾に繁れる緑を眺めさす
森の辺に郭公見むと行ける人らと
ともに行けぬははつかに哀し



Séamus Dall Mac Cuarta (1650 – 1733)はアイルランドの詩人。先天性か後天性かは不明ですが、(幼少期から)視覚障害のある人物であったことは確かなようです。詩の原文はこちらこちらに掲載されています(いずれも個人blogまたはHP)。
元の詩はゲール語で、拙訳はその英訳から二重翻訳しています。
wikipediaや上記個人blogでは作者はゲール語詩人として知名度が高いと紹介されているので、この詩はアイルランド(の、ゲール語教育において?)では有名なのかもしれません。

なおボーカルグループAnunaの主催Michael McGlynnはこの歌にメロディーをつけたものを作曲、youtubeでも公開していますが、こちらの曲では詩の最終パラグラフが歌詞から削除されています。
彼の作曲した曲のタイトルは「Failte don ean」で詩と同じですが、このタイトルは「welcome to the bird」と英訳されています。


第一パラグラフ後半、英語原文は
For so long a time I’ve been tired of life
For I cannot see her when the grass is new.


また第二パラグラフ冒頭は
I can hear it, though I cannot see her,
The chant of the bird they call cuckoo;


となっており、ここで出てくるherはいずれもcuckooと解釈しました。タイトルのwelcome to the bird の 「the bird」(theが付くので鳥全般ではなく特定の鳥) もcuckooのことでしょう。


第1パラグラフ後半は
For so long a time I’ve been tired of life
For I cannot see her when the grass is new.

とても長い間「I’ve been tired of life」なのは「 I cannot see her when the grass is new」だからなので、毎年新緑の頃になっても郭公を見ることが自分には叶わないから……ということで少し言葉を足しています。


第3パラグラフは
Each one may behold the charm of the bird,
For all Ireland is gazing, north and south,
With all of the flowers on the hills around,
And everyone can speak of such things with delight.

となっており、1~3行目の内容が全て「the bird」にかかるものと取りましたが、全体の構造、特に3行目(拙訳では"丘を取りまく花をたずさへ"に対応)についてはこの訳でよいのか少々自信がありません。


英訳を読む限りsee, look, watch, gift of sightなど、視覚に関する表現の頻度が比較的高いように感じますが、それは郭公をこの目で見たい、つまり春にやってくる郭公と失われた己の視覚とを希求する作者の心の表れとして見ても良いのではないかな、と思います。