わたしの託した白いばら (The white rose, Michael McGlynn等) 私訳

2024年5月8日水曜日

translation

林檎の木々の花の真白を通りすぎ 風は谷間でささやいていた
榛の木に鳥は歌い あのひとはやってきたのだった


*あのひとのくれた赤いばら一輪、夜明けに濡れていたスミレ
  わたしの託した白いばら一輪
(愛するおまへの道のりがだうか無事であるやうに)


(愛するおまへ その不在を癒やすものはこの世のいづこにもあらず)
(戻つておいで わたしをむごい場所に置き去りにしたおまへ)


山には柔らかな雨が降り 海には冷たい風が吹く
わたしは悲しみにくれ言葉もなく待っていたーーもう鳥の歌は聞こえない  


*Repeat



the white rose(歌詞全文)


the warm wind whispered in the valley through the pure apple blossom on the trees.
the black bird sang in the hazel and  my love he did come to me.


*He gave to me a red rose, and violets dew’d with the dawn
And I gave to him a white rose,
(that you my love would go safely)


(walk my love, there is no healing to be had but that of death)
(walk my love, you left me in a terrible state)


the soft rain falls on the mountain and the cold wind blows on the sea
I have waited in sorrow and in silence; I no longer hear the blackbird’s melody.


*Repeat



『The white rose』はボーカルグループAnunaの曲。動画はこちら。歌詞はspotifyで公開されていますがわかりにくいため本記事では原文を合わせて掲載しました。なお()内記載の歌詞は実際にはゲール語であり、ここにはその英訳を掲載しています。


ゲール語と英語が混在しているこの歌ですが、作曲者等について見るとIrish language text traditional, music and English text by Michael McGlynn、となっています。

つまりこの歌のゲール語部分はアイルランドの古い文言、英語部分は1964年生のMichael McGlynnによるものです。このため拙訳ではゲール語部分は旧仮名、英語部分は新仮名で記載してみました。とはいえ曲としてはゲール語部分も英語部分も特段歌い方のトーンが変わったりするわけではなく(むしろ英語のAnd I gave to him a white roseというフレーズを補うようにゲール語の(that you my love would go safely)というフレーズが響いたりします)、両方の歌詞を併せた全体として、古い、おそらくは中世頃のアイルランドの風景や世界観を表したいのだろうと思われます。


ゲール語部分の歌詞(の英訳)は以下の3フレーズです。

that you my love would go safely
walk my love, there is no healing to be had but that of death
walk my love, you left me in a terrible state


このうち ”that you my love would go safely (go dteigh tu a mhuirnin slan)” については有名なトラッド、『Siuil a ruin』に近い言い回し(Is go dte tu mo mhuirnin slan)が登場します。当blogのsiuil a ruinの私訳記事では「その道のりよ無事であれ」と訳している箇所になりますが、これは(おそらく後年書き加えられたと思われる)戦地へ赴く恋人の無事を祈る歌詞として登場するものです。


“walk my love, there is no healing to be had but that of death”については、ゲール語歌詞でgoogle検索しても似た文章は見当たりませんでした。

が、英語テキスト"there is no healing to be had but that of death"で検索すると、アイルランドの墓石に刻まれた言葉として"Death leaves a heartache no one can heal, love leaves a memory no one can steal."というフレーズがヒットします(例えばこちらなど)。

もちろんこれだけで断言することはできませんが、この歌で引用されているフレーズもおそらくは墓碑銘、死者に捧げる言葉ではないか……と想像することは、言葉の内容からしてもそう的外れではないのではないか、と思います。もしそうだとすれば”walk my love, you left me in a terrible state”も同様でしょう。


なお、"walk my love"というフレーズの個人的な解釈については以前こちらに書かせていただきました。

『Siuil a ruin』では兵士となった恋人を見送る言葉、あるいは恋人にさらってほしいと希う言葉として訳されるのがほぼ定訳になっているようですが、墓碑銘の言葉(と解釈しても問題ないようなフレーズ)とセットで使われていることからしても、死者への呼びかけの言葉として捉えるのがやはり適切なのではないか、と思います。

遠方(おそらくは戦地)へ赴く人への見送りの言葉と、おそらくは墓碑銘と。
引用された古いゲール語の文言は3フレーズのみですが、この3フレーズにより導かれるストーリーは明らかです。

一番と二番の間にどれだけの時が流れたかはわかりませんが、英語の歌詞で描かれる女性は具体性の薄い茫洋とした春の景色のなか、恋人の男性との花のやり取りの記憶だけを抱いて立ち尽くしています。こちらで言及した、男性作家によって描かれる受け身で無力な女性像の系譜がここにもまた現れていると言えるでしょう。


ところで、この歌にでてくるwhite roseは一体どのような薔薇なのでしょうか。 
薔薇の品種は(大まかな目安として、ではありますが)1867年以前に生まれた品種はオールドローズ、それ以降のものはモダンローズとして分類されます。しかしトラッドの時代を想定した場合、1867年というのは基準線としてあまりにも遅すぎるでしょう。トラッドの時代にも咲いていたバラとはどのような薔薇であったか、と考えるならば、むしろ原種の薔薇のほうが実態に近くなる気もします。

ANUNAの「The white rose」動画冒頭では白い小さい花が風に揺れる映像が流れます。 花は小さく細い花弁も5枚と少ないこの花は、歌詞冒頭に登場する林檎の花(参考)である可能性も否定できませんが(とはいえ林檎もバラ科の植物です)、これが歌に登場する薔薇の花であった場合、原種の薔薇のひとつであるロサ・カニナ(参考)(参考2)のような品種であると思われます。 
ロサ・カニナの和名はイヌバラ、苗木の台木として使われる丈夫な品種で、低木の枝に小さな花を咲かせ、実はローズヒップとして食用に利用可能です。香りは少なく、野ばらと称するのがぴったりな花です。 
可憐な花ではありますが、個人的には花のつき方などを考えると恋人に渡す花としては果たしてどうだろう、とも思います。日本の身近な花で言うと山吹の花がどんなにきれいでも恋人に摘んで差し出すものだろうか、それとも枝ごと切って渡すのだろうかと困惑してしまうという感じです。

動画冒頭の花のイメージや薔薇の原種から離れ、古くからある白い薔薇という観点で考えた場合、真っ先に候補として挙げられるべきは白薔薇の原種とされるロサ・アルバ(参考)(参考2)でしょう。
ロサ・アルバは「オールド・ローズ基本4種」の一つであり、ばら戦争で有名なヨーク家の薔薇であり、聖母マリアの象徴ともされます。花弁も花全体のサイズも原種であるロサ・カニナより大ぶりで、白い花びらの広がる中に黄色い雄しべが映えます。一般的な「薔薇の香り」、ダマスク香とは異なるレモンのような香りをもつこの薔薇は、恋人に捧げる薔薇、という意味ではより多くの人のイメージに一致するのではないでしょうか。

薔薇は、樹形によりつるバラ、シュラブ(半つる)、ブッシュの3系統に分かれます。 
一般的な花屋で売っているのはすべて、ブッシュ系統の薔薇です。太くまっすぐな茎の先に一輪、大きく立派な花を咲かせるこの樹形は王権神授の時代、広い庭園の遠景の彩りとして使われていました。一方、原種の薔薇やオールドローズの殆どはシュラブ型またはつる薔薇に該当します。 

つる薔薇やシュラブの薔薇が花屋に出回ることは殆どありません。理由は簡単で、弱いからです。
ブッシュ系統より茎が細くしなやかなこの2系統は、庭の薔薇として壁やアーチに枝を誘引することが容易ですが、その分、脆い花でもあります。しなやかな茎が水を吸い上げ咲かせる花の花弁は脆く染みがつきやすく、簡単に散ります(ちなみにヨーロッパでは薔薇の品種について、その花の散り方が美しいことも一つの評価ポイントになります)。
水を吸い上げる茎が細いということは多くの水を内部に蓄えておくことができず、花がすぐに萎れるということでもあります。このため、シュラブやつる薔薇の花はあらゆる意味で長距離輸送に向いていないのです。 


恋人からもらった薔薇、恋人に託した薔薇。 
小さな花だったかもしれませんし、大ぶりの花だったかもしれません。が、いずれにせよその花はおそらく、一日もたたないうちに萎れて散ってしまったことでしょう。