ぱんげあ( #貝楼諸島より )

2021年9月22日水曜日

tanka

 


  まるで忘れていた記憶を思い出したみたいに、島の記憶はいつの間にか頭のなかにあった。

   「私が島であった頃」正井 より



わたくしが島だった頃いっせいに春に咲きだす顔のない花


わたくしが島だった頃ゲリラとは銃弾でなく雨粒のこと


わたくしが島だったころ海原は丘の向こうにあったのだけど


   おびただしき鳥の羽ぶきに身を鎖され月はいまでも絵のなかにゐる


わたくしが島だった頃のにんげんの紙幣に刷られたにんげんの顔


わたくしが島だったころ人々は羽をもたない鳥より脆く


わたくしが島だった頃わたくしは誰のもちもの 打ち寄せる波


   貝の虹あぶらのごとく光りたり外つ国とふは隣国のこと


   呼気あまたひしめきあへる空と思ふマスクはづせば洞ばかりなり


わたくしが島だった頃この島に草木は生えぬと言われたらしい


わたくしが島だったころ水面にはどこまでも羊草ひろがり


わたくしが島だったころ青空を羽虫のように飛んでいたのは


わたくしが島だった頃つけられた名前はみんな夕闇のなか


   主語のなきまま言葉を継ぎてある時は黒塗りのごとさびしさを言ふ


   つがひのみ載せたるあれは舟でなく棺なのだと告げらるる夢


夏だった 島だった頃のわたくしは空からふいに焼き尽くされて


わたくしが島だったころ夜はどこまで行ったって夜のまま


わたくしが島だった頃わたくしは誰もかぶらぬ金の冠


   耳鳴り、と言つてしまへばそれまでの夕日の色をひとり送りぬ


わたくしが島だったころわたくしは砕けて、そして


わたくしが島だったころ港から生き物はいっせいに飛び去った


   彷徨へる小(ち)さき船らを掌(て)にをさめ影よりまはりだす観覧車


   港から港をぎこちなくわたり飼い慣らされて旅券は羽ぶく


わたくしが島だった頃はまだあったぼんぼりに似た町のともしび


   さくらばなウイルスのごとふるへつつ人のあかりに照らされにけり


   ほどけても潮の匂ひは消えぬまままう坂道は下りてしまつた


わたくしが島だった頃 わたくしが島だったころ (島だったのよ)


         *


満月よかつてわたしは島だった 身体は無防備にしかなれない


わたくしが島だったから殺されたひともいること 波さんざめく


   ひとつずつ部屋を閉ぢ込め雨の降る真夜中 どこかに病む人がゐる


わたくしが島だった頃(その島の公的記録は存在しない)


わたくしが島だった頃(泣きながら潮引くように夢から覚めた)


   細き橋わたりおへたる頃ならむそれが誰かは未だ知らねど


   入水に向かふしづかな一行を見送る朝よわれも行くなり

 

いまはむかし、わたくしが島だったころ、とはじまれるものがたりありけり








『犬と街灯』島アンソロジー企画 参加作品。