年末年始のテレビはどのチャンネルでも専用の特集番組が組まれている。いろんなチャンネルがあるのに毎年決まったものしか見ていないことに気付いたのは、きっとSNSを始めてからのことだった。見たこともない番組について楽しそうに話す声が、その番組を毎年見るのが当たり前であるかのような声が液晶画面の中を流れていくのを見ると、そんな番組があったのかと今更のように気付く。同じ番組を見ていても反応する歌手の名前やポイントが違うこともある。歌に注目する人、舞台セットに注目する人。歌手の私生活について呟く人。大晦日の夜、家でテレビを見ている人たちが自分を含めてこんなにいるのに、見ている番組は少しずつ違う。パラレルワールドみたいだ、と思う。
わたしの中で年末年始の空気はいつも、大晦日夜の八時半頃から始まる。第九の四楽章が始まるのが大体そのくらいからだからだ。一楽章からずっと流しているときもあるし紅白歌合戦や各種裏番組を織り交ぜることもあるけれど、とりあえず八時半頃からは第九を聞く(忘れていると悔しい)。年が明けて親戚との会食で疲れた夜、お節の残りをだらだらと摘まみながらウィーン・フィルを聞くのも、いつからか毎年恒例のことになっていた。
少し前に、紅白歌合戦の始まりを描いたNHKのテレビドラマを見た。新しい民主国家に相応しい番組作りを求められた放送局のスタッフが時にGHQとやり合いながら各所をかけずり回り人を集め、みなが家族とともに過ごす大晦日のために番組を作り上げていくのだ。色々あったが番組は無事終わり、ラストシーンで主人公達は集まった視聴者たちから万雷の拍手を受けていた。戦争の終わった年の大晦日、ラジオから聞こえたベートーヴェンの第九に、ようやく本当に戦争が終わったと思った……そう言っていたわたしの親族はドラマで描かれた紅白歌合戦は聞かなかったかも知れないが、いずれにせよその年の年末、ラジオに耳を傾けながら抱いた感覚は結構似たものだったのではないか、と思う。
余談だが、この親戚から聞いた第九の話は本当だろうかとネットで調べてみたところ、N響の戦中期最後の定期公演は一九四五年六月一四日、ベートーヴェンの第九だったとWikipediaに記載されているのを見付けた。N響は前年十月からベートーヴェンの曲を集中的に演奏していて、第九の演奏はその一環だったらしい。この公演の一週間後に沖縄はアメリカ軍に占領され、二ヶ月後の八月十五日に玉音放送が流される。この時の第九はどんな演奏で、それを聞いていたのはどんな人たちだったか、少々気になるところではある。
音楽にまつわる記憶は、強い。
学生時代、音楽をやっていた。そんなに真面目に活動していたつもりはないけれど、当時演奏した曲は今聞いても自分のパートがすぐに聞き取れるし、それと同時に当時の視界がふっと浮かんで消える。あの記憶の浮かび方は写真や文章を見て思い出すのとはちょっと違う、と思う。そしてだからこそ、しばらく聞けなくなった曲もある。
認知症の老人に若い頃よく聞いていた音楽を聴かせたら車いす生活だった人が歩けるようになった、そんな事例を以前テレビで見たことがある。一体どんな音楽を聴かされたら自分はそこまでの反応を示すだろうと考えると空恐ろしいものがあるが、そういうことはありえるだろうな、とは思う。脳に音楽を担当する部位は無いと昔読んだことがあるが、そういうことも理由の一つなのかも知れない。
映画「ショーシャンクの空に」には、えん罪で収監された男が放送室を占拠し、刑務所中にモーツァルトの曲を流すというシーンがある。管理棟上部に取り付けられた、普段なら労働時間の開始と終了くらいしか告げないスピーカーからフルボリュームで流れた音楽に、外で作業していた囚人達は徐々に動きを止め、やがて揃って空を見上げる。囚人として疎外されていた人々が、音楽で自分を取り戻す。原作小説には無い、映画オリジナルのエピソードだ。「ライフ・イズ・ビューティフル」にもこれに近いシーンがあった。収容所に入れられた主人公が遠くにいる妻に届けと蓄音機のラッパをぐいと仰向けた途端、まるで彼の心情がこぼれるように、音楽が大音量で響き出す演出が好きだった。
「戦場のピアニスト」の場合、映画中に登場する音楽の扱いは先に挙げた二つの映画ほど幸福なものではなかった。恐らくこの映画のクライマックスは廃墟に潜んでいたユダヤ人の主人公とナチス・ドイツ軍将校が出会うエピソードだと思うのだが、それよりは映画冒頭、ユダヤ人の迫害が始まりだした頃のエピソードがわたしは印象に残っている。ワルシャワの町中で笛や太鼓をがちゃがちゃと鳴らし、ユダヤ人は出て行けと叫ぶ一群から、顔を強張らせた主人公達は素早く身を隠す。きっと、頭の中に残るのだろうなと映画を観ながら思った。町中から家に帰り、食卓を囲み、寝床に入ったその後も、鳴らされていた音楽は主人公一家の頭の中でいつまでもいつまでも鳴り続けたのではないだろうか。
ナチス・ドイツ軍将校のため廃墟の中でピアノを弾いた主人公はその後、別の建物の中に隠れ住むことになる。彼の存在を知らないドイツ人女性が壁の向こうでバッハの無伴奏を弾く、それに一心に耳を澄ませるシーンが好きだった。見付からないように息を潜めて、それでも壁に耳を押しつけうっとりと音楽を聴く主人公の表情が大写しになるのを見ながら、神様にすがっているみたいだと思ったのを覚えている。
みんなが愛する曲、国民的ヒット曲というものが最近は出にくい、らしい。確かにCD屋も減ったので偶然耳に飛び込んできた異分野の音楽というのは以前より減っているかも……と思うのは、わたしがテレビを観なくなった影響か、あるいは以前どこかで見かけた、人はみな中高生時代に触れた音楽をずっと聴き続けるから、ということなのだろうか。大晦日、Twitterでそれぞれが違う番組について呟くように、皆それぞれ違う音楽を聞いているのだな、と思う。わたしは洋楽が好きだけど、恐らく洋楽は以前ほど聞かれるものではなくなった。
SNSを使いながら、時折、どちらが先だったのだろうと考えてしまう。みんなの価値観が社会の変化に伴いだんだんばらばらになってきていて、それがSNSというツールで可視化されているのか、あるいはSNSというツールが出てきたから、みんなの価値観がばらばらであることが「見える」ようになったのか。離れているのか、近づいているのか。あるいはその両方なのか。
みんなが好きな曲、みんなで歌える曲を、みんなで一緒に歌うのは楽しい。文部省唱歌の「一月一日」(年の始めのためしとて)の合唱で締められる紅白歌合戦を観ていると、これはそういうものを目指した番組なのだろうなとしみじみ思う。戦争は終わったね、とラジオを囲みながら家族や隣近所の人たちと共に確かめた第一回から、きっとそれは変わっていないのだろう。もちろん、今だってTwitterで誰かがこの曲素敵だよと呟けばあっという間に広がるようなこともあって、それは昔とは違う形の「団欒」なのかもしれないとも思う。変わっているといえば変わっているし、変わっていないといえば変わっていない。他者と何かを共有することは人にとって快楽で安心できることで、それはこれからも変わらないのだろう。
液晶画面を流れていくパラレルワールドを眺めながら、誰かの語る見知らぬ音楽についてそうかこんなものがあるのかとつまみ食いしてみるのは楽しい。
だけど、自分以外の全員が同じパラレルワールドに住んでいて、一人だけそこにいないような気がしたら。ましてやそれを誰かに責められるようなことがあったら、それはとても辛いだろうな、と思う。
そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい
歓喜の歌( 訳はwikipediaより)
第九の四楽章クライマックス、歓喜の歌にこんな一節がある。
この一節を、友達のいない非リア充は出ていけってことだろ、と評した文を見たことがある。上手いこと言うなとその時は笑ってしまったけれど、実際、他者との繋がりを称えることが、別の誰かを立ち去らせることにうっすらと繋がっていたということはあるような気がする。映画「十二夜」のきまじめな執事マルヴォーリオが物語ラスト、二組の結婚式の喧噪を聞きながら、ひとりトランクを引きずり去っていくように。昔からある物語、いわゆる古典には、排除の要素がハッピーエンド成立の前提条件として含まれていることが多い気がする(「十二夜」の原作はシェイクスピアだ)。
わたしは第九が好きだし、ディズニーを含めたミュージカルも好きだ。でも、ある日突然目の前に楽しく歌い踊る人たちが現れて、さあおいで、みんなと一緒に歌うのは楽しいよと手を差し出されたら、きっと気恥ずかしくなって逃げ出してしまうと思う。
あるいは勇気を出して手を取ったら、とても楽しいのかも知れない。本当は参加したいと内心で思いながらそう出来ない人に手が差し伸べられたら、それは光り輝く救いの手に見えるだろう。でもそこに参加しないで遠くから見詰めていることは、そういう形で参加することは、いつだって正されるべき、間違ったことなのだろうか。
「ワンダフルライフ」という映画がある。監督は是枝裕和、先にあげた「ライフ・イズ・ビューティフル」とタイトルが似ているのでたまに混同されていることがあるが、全く別の話だ。
内容は、ファンタジーなのだと思う。死者達が自分の一番の思い出を語る。彼らは思い出をひとつだけ選び、それだけを抱いて「あちら側」へ行く。ストーリーはストーリーとしてちゃんとあるのだが、正直この設定だけで勝利しているような映画だと思う。
ドキュメンタリーの撮影経験を持つ監督のカメラは映画冒頭、思い出を語る死者達を正面から撮る。画面中央、机を挟んで真向かいに座る彼らはカメラに、つまり映画を見ている「わたし達に」自分の思い出を語る。彼らのいる部屋は広くて板張りで、座っている椅子も机も木でできている。小学校の教室のような空間だ。画面右手、窓の方からは陽が射していて、遠い記憶を蘇らせようとする彼らはみな、正面に座っているのにどこか遠い目をしている。
思い出を語る人たちの中に、押し入れの中の記憶を上げる男性がいる。恐らくは子どもの頃、真っ暗な押し入れの中でひとり息を潜めている時の記憶だ。それだけ持って行けるんですね、とその人は言う。他の記憶は全部、忘れてしまうんですね。それなら、良かった。
その人がどうしてそれを選んだのか、どんな人生を選んだのか。押し入れ以外の記憶を忘れてしまうことをどうしてそんなに安堵するのか、映画の中では語られない。押し入れの暗闇とかすかな物音の記憶だけを抱いてその人は「あちら側」へ去って行き、否定も肯定もそこには描かれない。
家族や友人、恋人との幸福な思い出を上げる人たちの中にそういう思い出が現れること……そうした思い出を語られた側の葛藤も描きつつ、けれどそれが誤ったもの、おかしなものとして切り捨てられなかったことは、この映画を撮った監督の誠実さの現れにわたしには思える。映画の中には印象的な思い出を語る人が他にもたくさんいるけれど、それが切り捨てられなかったことを含めて、押し入れの思い出はわたしにとって映画の中の印象的なエピソードのひとつだ。
みんなみんな、良い一年になりますように。
大晦日や新年、節目の時にはふいにあてどもなくそう祈りたくなって、それは嘘ではないのだけれど、そのときに思う「みんな」が本当に「みんな」なのか、遠くで誰かを排除していないか、は、時たま確かめてみても良いのではないかと思う。それはとても難しいことだけれど。
そう思いながらそれでもわたしは、押し入れの記憶だけを抱いて「あちら側」へ行った人にも、戦場のピアニストの聞いたチェロのような、美しい音楽の流れた時があったらいいなと、そんな傲慢なことをどこかで思ってもいる気がする。結局の所、どんなに沢山の人と一緒にいたって、音楽との出会いというのはたったひとりずつの体験じゃないかと、自分自身の経験からも思うのだ。「ショーシャンクの空に」の囚人たちだって、仲間がそうしているからという理由で空を見上げたわけではないはずだ。わたし達はみんな、それぞれ違うパラレルワールドに住んでいて、それでも音楽はわたし達のはるか頭上を等しく流れていく。
世界の全てが怖くても、憎んでいても。世界のどこにも入れなくても。押し入れの襖の隙間から聞こえるかすかな物音と光にその人はじっと耳を澄ませていた、そうして世界に参加していた、そういうことだってあったかも知れないのだ。
(初出・webサイト片隅連載「鏡の箱に手を入れる」第五回 2016/01/22掲載)