ページ

2024年8月1日木曜日

八月 (August, Flancis Ledwidge)私訳

八月


日の始まりの薄暗がりにやつてくる
刈り入れの歌の黄に重なる光の白さ
露に濡れた虹踏みしめる
その美しさ力強さ            
目蓋をもたぬ真昼の瞳が
刈られた小麦を踏む足を焼き
日がな一日、その鳶色へ口づけるに相応しい


落穂に埋もれるコオロギの頭上
積み藁の列の中にゐる
五月の青と十一月の灰白
色違いの瞳を伏せた時そのひととわかる
赤い壁の納屋でわたしは
干し草を刈る錆びた大鎌を下ろし、呼ぶ姿を見ていた
彼女を追つてわたしも行かう



『August』はFrancis Ledwidgeの詩。コーラスグループAnuna(アヌーナ)の主催、Michael McGlynnがこの詩にメロディーをつけています。Anunaの動画はこちら、またLedwidgeの詩はこちら


冒頭2行、原文は

She'll come at dusky first of day,
White over yellow harvest's song.


Sheがやってくるのは夜明けであり、2行目は夜明けの描写と同時にsheの描写であると取りました。続く3、4行目の記述と合わせてもShe、Augustは太陽光線の化身のような存在として描かれているとわかります。

八月の最初の日はケルトの収穫祭、ルナサが行われる日でもあります(参考)。ルナサは収穫祭の名称であると同時に八月の意味もありますが、この語は太陽神Lughから来ていると言われています。この詩において八月(She、August)に収穫、太陽のイメージが重ねられているのも、こうしたアイルランドの風土を踏まえてのことでしょう。


収穫祭、と書きましたが後段の記述を踏まえても、"yellow harvest song"で念頭に置かれているのは小麦の収穫と思われます。小麦は夏~夏の終わりに実り、収穫を行う作物です。アイルランドは長らくイングランドの支配下にあり、農民達はイギリスの領主に収穫した小麦の大部分を納付していました。黄色は成熟した小麦の穂の色、風が吹けば一面に揺れ乾いた音を立てる小麦畑の色です。

ちなみに俳句では「麦の秋」という季語があり、これは初夏、5~6月頃の季語です。俳句の季語は日本本州、関西圏~関東圏が中心のためこうなるのでしょう(アイルランドの気候は北海道に近いと考えるのが恐らく最もわかりやすいです)。


5、6行目「目蓋をもたぬ真昼の瞳が/刈られた小麦を踏む足を焼き」の原文は以下の通り。


The lidless eye of noon shall spray
Tan on her ankles in the hay,


hayは干し草の意味ですが、この詩は全体として小麦の収穫シーンを描いていると解釈したためこのようにしました。


8、9行目、「落穂に埋もれるコオロギの頭上/積み藁の列の中にいる」の原文は以下の通り。


I'll know her in the windrows,tall 
Above the crickets in the hay.


積み藁の列と訳したのはwindrows。刈り取った干し草や穀物(この詩では小麦でしょう)を山にしたものです。画像含む詳細は(参考)を参照。あるいは印象派の画家モネの「積みわら」を思い浮かべてもよいかもしれません。(参考・ウィンドロウ)(参考2・モネの「積みわら」

リンク先にもありますがウィンドロウは、モアー(mower)または大鎌(scythe)によって草や穀物を刈り、ヘイレーキ(hay rake)で寄せ集めることで作られます。
一方、積み藁とは穀物の茎と実が分離しやすくするため、一定期間乾燥させる貯蔵庫です(藁とは小麦など、イネ科植物の茎を乾燥させたもの)。つまりウィンドロウの、刈り取って小山にした小麦を貯蔵庫の体裁に整えたのが積み藁である……といえるのではないでしょうか。ウィンドロウと積み藁は厳密には別物ですが、干し草の山の列よりはわかりやすいと思ったのでこちらの語を取りました。

コオロギはwindrows、刈り取られた小麦の山のひとつやその周囲に散らばった小麦の茎の中に埋もれていて、sheはそのそばに立っているのでしょう。刈り取りはずいぶん進んだ段階と思われます。


最後の3行、原文は以下の通り。


I'll watch her from the red barn wall
Take down her rusty scythe, and call,
And I will follow her away.


2行目のscytheはwindrowsの説明でも登場した小麦を刈る大鎌。
この詩におけるshe、Augustは夏の太陽の光の化身、日焼けした肌をもつ美しくも力強い存在であり、小麦を刈る農家の女性として描かれています。
呼び声に応えて詩の主体はAugustにつき従って行きますが、awayとあることからも進んだ先にあるのは夏の終わり、収穫期の終わりのように思います。



以上はFrancis Ledwidgeの詩『August』の私訳ですが、インターネット上の個人サイトや各種音楽系サイトに掲載されているANUNAの『August』の歌詞をLedwidgeの詩と比較すると以下が異なることがわかります。(参考


1. ANUNAの歌詞    I'll know her in the windows,tall 
   Ledwidgeの詩     I'll know her in the windrows,tall  


2. ANUNAの歌詞    I'll watch her down the red barn wall 
   Ledwidgeの詩     I'll watch her from the red barn wall


インターネットの情報はwikipediaなど、どこかからの転載がコピー&ペーストで出回ることが多いので、どこかの間違いがそのまま転載され続けられているのかも知れません。

Anunaの「August」については本記事筆者も楽譜やCDブックレットの記載等は確認できていない状況ですが、インターネット上のANUNAの『August』の歌詞には少々留意したほうが良い……と言えそうです。